最近レイキを伝授するマスター・ティーチャーが楽しんでいるのか疑問に思うことがあります
レイキ=神聖なもの を大事にするあまり、とてもとても厳しく、そしてクライアントの生活に一歩踏み込んでしまったり・・・また見えない世界だけに、見える・見えないにばかりに走るマスターもいるようだ。
レイキはそもそも自他共に健康を増幅するもの。
はっきり言って現代社会は厳しさについてこれる人は一握り、もっともっとレイキを味わい楽しみ、人間としての優しさを引きだしてこそ現代に必要とされるマスターなんだろな
レイキは道です。
使う使わないは使い手の自由です。
半ば強制にやらされるものではありません。
3度の食事のように、当たり前なものにする・・・
それは楽しんで行い続けた人にしか得られないし、そこには己の厳しさが必要なのかもしれません。
だからこそ、マスターは生徒に気付く為のガイドをするのです。
そのガイドが行き過ぎてしまわないように、マスターとしての在り方が問われるところだ。
もっとほんわかとレイキを伝えていきたいんだな~☆
この秋はレイキ実践者が集まる季節でした!(^^)!感謝
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